1960年(昭和35年)
産婦人科・小児科病棟改築、伝染病棟廃止
変化と飛躍の時代
天使病院の改築計画は、すでに戦前から考えられていた。
木造建築の病院(写真)は長い風雪にさらされ、土壁はもろくなり、あちこちですき間だらけの状態になっていた。破損しても応急処置をするだけで環境上も衛生上も決してよい状態ではなかった。当然「これでは患者さんたちの安らぎの場にはならない」「患者さんに申し訳がない」という声が上がり「患者さんに満足してもらえるような良い病院を造ろう」と祈りと労働の日々が続いた。
昭和15年ころ、改築案が具体化されそうになった。病院中が「もう少しの辛抱」を合言葉に努力を重ねた翌年、太平洋戦争が始まり、そのためにローマ本部(マリアの宣教者フランシスコ修道会)より資金が来なくなり、この計画も一時ストップということで、希望を絶たれ、皆の落胆は大きかった。
それから20年後、ローマ本部から朗報が届いた。改築の許可がおり、資金援助が決定したのだ。祈りは感謝の祈りとなった。
こうして昭和35年、待望の産科棟改築が開始された。
産科棟の改築計画は、“妊産婦は健康人”という認識から、他の病人と離れた空間を確保したいいために立案されたものだった。
「解体される建物は古くても、古さの中に清潔さを保っていました。毎日心をこめて掃除をした廊下はピカピカに光っていました(写真がその廊下)。解体されるときは、とても複雑な気特でこの古い病院で昼夜をわかたず働いたことなどが思い出され、つらい気特がしました。しかし、あの当時があってこそ今があるのだ、患者さんのための新しい安らぎの場が生まれるのだと、自分に言い聞かせ古い建物とお別れしました。そして今まで実行して来た節約の生活を続けました」
やがて鉄筋コンクリート4階建の立派な産科棟が完成し、母子異室制は完全な体制で実施され、一貫した意図の下で母子保健の成果を上げていった。
新しい建物の中では、まず妊産婦に対する指導が始まり、母親学級が開始され、沐浴、調乳指導、退院後の生活指導、乳児健診など、現在ではごく普通の知識となっている初歩的な知識からの指導が誠意と熱意の下で行われた。
こうして昭和35年12月、産婦人科と小児科病棟を改築、鉄筋コンクリート建て、地下1階・地上4階の堂々たる病棟が完成し、院内の病床数は一挙に252床に増加した。
さらに、同月伝染病棟廃止。明治以来、伝染病に侵された数多くの人びとのいのちを救い、地域医療に貢献した伝染病棟の廃止は、ひとつの時代の終わりを告げる出来事といえよう。
昭和20~30年代は天使病院にとって、変化と飛躍の時代であった。